イノセント―22

 自分の怒りを静めようと、奈々衣は休憩室の長椅子に腰を
下ろし、数回、深呼吸を繰り返した。その間、大河内は判決を
待つ罪人のように項垂れて立ち尽くしたままだった。その、およそ
彼らしくない神妙さに、奈々衣はようやく怒りを静めることができた。

「二度と、あの子に近づかないで」
 奈々衣は、氷の女王のように冷ややかな瞳で大河内を見つめ
ると、厳かに罰を宣告した。



 傷害罪での民事訴訟に、優は同意しなかった。いぶかしむ刑事に、
優は「生きていくために早く忘れたいんです」とだけ答えた。
桑田達郎が宮川千紗の殺害を自供したことを、優が知ったのは、
それから間もなくのことだった。

 優は、紅葉が真っ盛りの秋になってやっと退院することができ、
静養のため、奈々衣の実家である内田家へと引き取られた。

鎌倉にある屋敷は、大正時代の洋館を改築したもので、かなりの
広さと部屋数に恵まれており、奈々衣の母親は大層世話好きな
女性だったからだ。

 当初、優の父親が引き取ろうとしたのだが、父親の家は2LDKの
マンションで、父の後妻が年頃の娘と義兄の優を同居させることに
難色を示したため、優は奈々衣の実家で世話になることにした。

できることなら一人で頑張りたかったが、弱った身体は思うように
動かず、陰惨な記憶の残るアパートに戻るのも辛かった。いずれ
体力が回復したら、新しいアパートを見つけて移り住もうと考えていた。

 退院したその夜、優は事件以来初めて大河内に電話した。一度、
見舞いに来てくれた時、酷く取り乱してしまったせいか、それ以来
一度も大河内は病室に現れなかった。

もしかしたら、優が桑田の危険性を知りながら千紗に警告しなかった
ことを恨んでいるのかもしれない。あるいは、桑田に蹂躙された自分を
軽蔑しているのかもしれない。

そんな不安が頭をよぎって、優は携帯に伸ばしかけた手を何度
引っ込めたことか……。

 退院の報告をするという大義名分ができた今こそ、大河内に電話しな
ければ、永遠に電話することができなくなるだろう。そうして自分は、永遠に
大河内から忘れ去られてしまうのだ。そんな焦りに駆られて、優は
勇気を振り絞ってダイヤルした。

『はい、大河内です』

 耳に心地よいバリトンに、優は思わず胸が熱くなった。改めて、自分は
大河内を好きなのだと強く思う。

「もしもし、遠野です。今日、無事退院しました」
『そうか、良かったな。おめでとう』

 応えた大河内の声は、いくぶん固かった。やはり、せっかく見舞いに
来てくれたのに取り乱してしまったことを怒っているのだろうか? と優は
心配になった。

「お忙しい中、見舞いに来て頂きまして、本当にありがとうございました」
『ああ、気にしなくていい』
「体力が回復するまで、奈々衣さんのご実家にお世話になることに
なりました」
『そうか……』

 およそ大河内らしくない平坦な声音に、優は唇を噛みしめた。大河内の
よそよそしさが、優の心に棘のように突き刺さり、血を流した。

「あの、どうぞお仕事頑張って下さい」
 震える声で、何とかそれだけ伝えると、優は電話を切った。どす黒い
悲しみが毒のように全身に広がり、優は動くことができなかった。

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