ライオン・92

 演技経験のない笙を説得したのは、大聖のプライドを気遣った坂本だ。
そもそも笙が引き受けなければ、映画の話自体が流れるのだが、そんな
ことはおくびにも出さずに坂本は言った。

「君がやらなければ、他の俳優がやるだけだ。大聖は、その子とキスして
セックスする。もちろん演技だけどね。他の子が大聖に愛されても、君は
寛容な恋人だから平気だよね」

 坂本に淡々と言われて、笙は大聖が杉原要と共演したときのことを思い
出した。あの時の悔しさは、今も笙の胸にしっかりと刻まれている。笙は、
出演する覚悟を決めた。

 『花睡』は、笙が演じる弟ではなく、大聖が演じる兄を主人公として書き
直され、映画は9月にクランクインすることになった。メガホンを握るのは、
ドラマ『ライジング・サン』で監督を務めた大林悟朗監督で、大聖は絶大な
信頼を寄せていた。映画音楽は、むろん笙が担当する。

 笙はクランクインまでの4ヶ月間、演劇スクールに通って滑舌などの基礎の
特訓を受けることになった。大聖の足を引っ張るようなことは絶対にしたく
ないと必死だった。

 監督、脚本、俳優、そして映画音楽――『花睡』はすべてにおいて話題性に
事欠かない作品だった。その中心にいた大聖が、体調の不調を訴えて緊急入院
したのは、映画がクランクインする僅か1ヶ月前の8月初めだった。

 当初、大聖は暑さで夏バテしたのだと考えていた。それで食事に気を配ったり、
睡眠時間を増やしたりしてみたが、身体のだるさは一向に取れなかった。
ついには仕事中に貧血で立っていられなくなり、救急搬送された病院での精密検査
の結果、大聖は血液の癌と診断された。

 主役の入院で映画『花睡』は一旦、白紙に戻された。むろん代役を立てての
制作も検討されたが、それは脚本家・神崎美耶子の猛反対で却下された。
皆、大聖の回復を信じたのだ。


「俺の人生って、天国と地獄が交互にやって来る。面白いよなぁ」

 ベッドに横たわりながら大聖は、小さく笑った。笙は、どう答えていいか
わからず、黙り込む。大聖が、笙と繋いだ手に力を込めた。

「俺達、別れよう」
「え…?」

 笙は唖然として大聖の顔を見つめた。

「今が地獄だから順番からすれば、次は天国だろう? 治療がうまくいって、
俺が元気になったら、また付き合おう。でも、運悪く本当に天国に行っち
まったら、その時は勘弁な」

 大聖は、屈託のない笑顔でさらりと言った。
「もう、病院には来ないでくれ。治療に専念したいんだ」

 父親を癌で亡くした大聖は、これから受ける抗癌剤治療が、どれほど過酷な
ものか誰よりもよく知っていた。笙に、かつての自分と同じ苦しみを絶対に
味あわせたくなかった。

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